富士宮に暮らす人のライフスタイルインタビュー。第三回目は富士宮で生まれ、神奈川の保育大学に進学し、保育士の仕事に就いた後、出産をきっかけにUターンをした佐野安以さんにお話しを伺いました。
静岡県富士宮市出身/
2020年に芝川へUターン/
現在産後ケアプロジェクトを主催 二児の母
生まれは富士宮です。浅間さん(浅間大社)のすぐ近くの実家で高校卒業まで過ごしました。通っていた幼稚園にすごく大好きな先生がいて、その頃から私はこの先生みたいになりたいとすごく思っていました。夢はそのままずっと変わらず、幼稚園か保育園の先生になりたいと考えて進学先を保育の大学に決め、高校を卒業したら県外へという家庭の方針もあって、神奈川にある4年制の保育大学に進学しました。大学卒業後は保育園の会社に就職し、最初は東京練馬区にある認可外保育園で3年働いた後、江東区の保育園に勤務しました。
東京のような商業施設がなかったので、放課後は当時まだ遊具があった近所の浅間大社で遊んだり、放課後に開放されていた小学校で宿題を終えてから友達と遊んでいました。その時間がとにかく楽しくて。中学校に進学してからは少しずつ商業施設や公園ができてきたので、そこで遊んでいました。また、小学生のときに別の学区の井之頭小学校で3泊4日のキャンプがあり、毎年参加して市内のいろんな小学校の友達を作ったり、親から離れて自分だけで、自然を生かして生活するという体験をしました。猪之頭などの朝霧高原はちょっと遊びに行くというより、お出かけする場所という感覚でしたが、今思えば自然の魅力がある場所が近くにあったんだなと思います。
富士宮へは2020年4月に帰ってきました。コロナが始まったときに妊娠していたのですが、保育士の仕事が大好きで仕事を辞めたくなかったので、静岡にいる芝川出身の夫とは遠距離婚という選択をし、出産も東京でと決めていました。ところが、コロナ禍がどんどん進んで東京では外出もできなくなってきて、このまま夫も両親も東京に来られなくなったら私ひとりで出産と育児をしなければならなくなると思ったんです。東京の仲間たちも「今帰るべきだよ」とすごく背中を押してくれて。昔からの友達や安心できる夫と両親がいる静岡に帰ろうと決意しました。ただ、もう臨月間近とコロナ禍で産院がなかなか見つからなくて大変でした。
下の子が産まれたときに、産前産後制度を利用して上の子を保育園に預けて、就職先として保育園を見学させてもらったんですが、登園のスタイルだったり、東京と静岡の保育環境にすごくギャップを感じました。それに富士宮って自然があふれていて、自然の中で保育ができるのかなって思っていたんです。でも実際は園庭遊びと室内遊びの繰り返しで、自然を生かした保育ができていないということもすごく感じてしまって。自分がこの保育現場でやっていける自信がどんどんなくなって、やりたい保育もできそうにないと思って保育士という夢を一旦諦めました。今は芝川を拠点に昨年会社を設立して、夫の建築塗装部門と私の不動産部門という仕事をしています。