稲子地区定住推進委員会
稲子地区定住推進委員会は、移住希望の方を応援する地元有志の会です。おもに稲子地区の空き家調査と賃借交渉、居住希望者の仲介や地元と移住者との交流会などを行っています。2008年に発足してからというもの、2016年までにすでに8世帯の移住者の方をお迎えしました。地道な活動が実を結び、地元の稲子小学校も生徒数が倍増して活気づいてきています。
稲子地区ってどんなところ?
原風景を残した美しい山村
稲子地区は南北に走る稲子川に寄り添うように広がる集落です。ほぼ北端にあたる「天子の七滝」から南端に位置する「稲子駅」まで8㎞あまりの道のりで、区内の人口は400人ほどです。天子の七滝は「静岡県のみずべ100選」に選ばれ、稲子川に迫る棚田は「静岡県棚田等十選」に認定されるなど、地区全体が宝石のように美しい景観です。
平家落人伝説の伝わる集落
棚田の真ん中に稲子地区を見下ろすように立っている墓は、平維盛(たいらのこれもり)のものと伝えられています。平清盛の嫡孫として生まれた平維盛は、治承・寿永の乱で敗北し入水自殺したとされていますが、一方では、生き逃れ人里離れて暮らしたという落人伝説も残っています。稲子地区は落人伝説のある地域として全国的にも有名で、「さもありなん」と思わせる佇まいが今も残っています。
稲子地区の子育て
自主保育
稲子地区内には保育園・幼稚園がありません。そこで、自主保育の試みが始まりました。月1回のペースで子どもたちと親たちが集まり、体を動かしたり工作をしたりしています。ときには保護者のつてで「先生」を招いて、大人と子どもが一緒になって学ぶこともあります。たくさん考えてたくさん動いた後は、お決まりの昼食会で、持ち寄りの品を囲んでみんなで楽しく過ごします。
稲子小学校
稲子地区の子どもたちは全員、稲子小学校に通います。一時は全校生徒が5名まで減少し、存続が危ぶまれたこともありましたが、現在では全校生徒12名まで増えました。毎日の通学は、近隣の生徒同士の合流ポイントまで保護者が送り、そこから連れだって登校します。普段は2学年合同授業で、年中行事などでは地域の住民も一丸となって取り組み、みんなとっても仲良しです。
写真引用元:http://www.fujinomiya-shizuoka.ed.jp/e-school/22inako/?page_id=13
芝川中学校
中学生に上がると、子どもたちは芝川中学校に通うようになります。通学には「宮バス」と呼ばれる市営バスを使います。宮バスは通学時間に合わせて、稲子の北端である「上稲子落合」から南端の「稲子駅」を通り、芝川中学校のすぐそばにある「芝川会館」まで走っていてとても便利です。始発の「稲子落合」から終点の「芝川会館」まで、約30分の道のりです。
稲子地区の先輩移住者
岩井さん
- ■移住先:富士宮市上稲子
- ■平成27年7月に東京都板橋区より移住
- ■家族構成:夫婦、子ども2人
仕事中心になっていく暮らしに疑問を感じて、移住を考えました。子どもたちを自然環境が豊かなところで過ごさせてあげたいという気持ちもありました。
具体的な移住希望地というのはなかったので、まず家探しからはじめました。あちこち家を見て回る中で、紹介で富士宮の稲子にたどり着きました。
地域の人たちが歓迎してくださって、とても親切なので助かっています。子どもたちにも友達ができて、学校にもすぐに馴染めたようなので安心しました。
自宅は木々に囲まれており、家から見える芝川地域の山々の景観にも大変満足しています。トトロの森のように感じられます。
富士宮がずっと今のような自然豊かな里であれば良いと思います。
赤池さん
- ■移住先:富士宮市上稲子
- ■平成26年5月
- ■家族構成:夫婦、子ども3人
以前住んでいたところは駅からほど近く、生活するには便利な場所でしたが、自然の中での自給的な暮らしに憧れて稲子に越してきました。「子どもを緑豊かな環境の中で育てたい」という気持ちもありました。
富士宮市は稲子地区への定住推進事業に力をいれており、住居などは市役所に紹介してもらいました。私たちが住む前は10年以上空き家だったようですが、とくに大きな改修も必要なく、ほとんど借り受けたままの状態で住んでいます。
家の近くの畑で野菜をつくり、自分たちで食べる野菜をほとんど自給できるようになりました。また、タケノコやクレソンなどは自生しており、自然から頂くものの多さに驚いています。
移住してきた当初は、学区の小学校の生徒が全校合わせても5人ほどだったのですが、今では10人を超えています。稲子地域は、移住者の多い地域です。近所の移住仲間との交流も楽しいですね。
現在、お子さんを持つご家庭と協同して自主保育への取り組みを始めました。この輪をもっと広げて、子どもたちが集まって一緒に遊べるような空間をつくってあげたいと思っています。
石井さん
- ■移住先:富士宮市上稲子
- ■平成23年9月に静岡県沼津市より移住
- ■家族構成:単身
移住先の上稲子でガラス工房を開いています。自分の作品を作る傍らで教室を開いたり、アルバイトをしたりして暮らしています。希望があれば、トンボ玉づくりの体験教室も随時開催しています。
神奈川県の川崎市で修行して、ガラス作家の道を踏み出しました。もともとは実家のある沼津市で教室を開いていましたが、田舎暮らしにあこがれて、移住を考えるようになりました。富士宮市に越してきたのは、まったくの偶然です。当時、富士宮市で開催していた「空家見学会」に参加したら、今の家に案内され、間取りが気に入ったので引っ越してきました。今の家は居住空間とアトリエが分かれていますが、このアトリエは納屋でした。自分で手を加えて、今のようなアトリエに作り替え、奥にギャラリーも開設しました。
この辺りは夜が暗くて、いいですね。夜になると、灯りもなく驚くほど静かです。そんな当たり前のことが、当たり前でなくなっていたことに、ここへきて気づかされました。生きていくことにお金がかからないことも、ここへきて知ったことのひとつです。家賃が以前では考えられないくらい安いですし、頂きものが多いので食費もずいぶん浮いています。
田舎というと「よそ者扱いされるのでは」といった心配もあるかもしれませんが、少なくともここではそういう心配とは無縁です。近所の方は「引っ越してきてくれてありがとう」「助かるよ」と言ってくれます。そんなことを言われたら、嬉しいですよね。親切ながらも、わきまえて必要以上に構われることもないので、人と人との距離感もとても気に入っています。
宍戸さん
- ■移住先:富士宮市上稲子
- ■平成21年12月に静岡県静岡市より移住
- ■家族構成:夫婦、子ども3人
富士宮市に越してくる前は、静岡市清水区に住んでいました。「田舎で暮らしたい」という想いはずっとありましたが、移住先を稲子に決めたのはまったくの偶然からです。当時、稲子地区で開催された空家見学会に参加して、家が気に入ったので申し込んでみたら、良いお返事をいただけたので移住してきました。あとで聞いたら、その家はとても人気があり、6件もの申し込みがあったそうです。家族構成などを見て、大家さんが最終的に決めたのが、たまたま私たちだったというわけです。
趣味が高じたアクセサリー作りが、仕事としてある程度軌道に乗っていたので、仕事のことはあまり心配していませんでした。今もアクセサリーや草木染めなどの販売・ワークショップの開催などで生計を立てています。
田舎に暮らしていると、仕事なんて思いついたら思いついただけあるものです。芝刈りや山整備など、自然の中にもたくさんの仕事を見つけられます。ここに暮らしていると、「日本は資源のない国なんてウソだろう」とつくづく思います。たとえ仕事の対価をお金という形で得ることができなくても、十分すぎるほどの生活資源に恵まれています。
保育園が遠いとかバスの便が少ないとか、もちろん不便なことはたくさんあるのでしょうが、ここでの暮らしに馴染んでからは、とくに不都合を感じたことはありません。むしろ、狩りとか畑作とか、まだ十分に知らなくて、やりたいことがたくさんあります。「ない」ものより「ある」もののことで、いつも頭がいっぱいで心が躍ります。
稲子地区への移住・定住に関心のある方、お気軽にお問い合わせください。
富士宮市役所では、移住に関するお問合せを伺っています。
稲子地区にご興味を持たれた方は、下記へご連絡下さい。
富士宮市役所 企画部 企画戦略課 地域政策推進室
- ◆ 電話によるお問い合わせ 0544-22-1215
- ◆ E-mailによるお問い合わせ kikaku@city.fujinomiya.lg.jp